菊池明彦のオーボエの話 - 5 -


宮本文昭氏とフィリアコンサート


 本日(1999.3.28)、横浜フィリアホールに宮本文昭のコンサートに行って来ました。

 会員ではなかったので、チケットの先行予約ができず、一般向けの発売日に電話をしたのですがつながりません。仕方がないので、直接フィリアまで行くことにしました。家は不便なとこですが、まぁ車でフィリアまで10分程度のとこなのがとりえです。

で、並んでかなり待たされ空いている席がなんと最前列の10、つまりほぼ真中左より。

で、今日が本番の日、ぎりぎりにホールに着き、最前列に座りました。

始まるや否や、いきなりトーク。何でもマイクのテストを兼ねているとのこと。まぁ、演奏はもちろん、この楽しいトークもお目当てに来ている人も多いのでよかったと思います。

ところが、前回書いたとおり、このホームページを印刷して直接本人に持っていった人がいるので、その話がトーク中に出てしまいました。

最前列でびびっている書いた本人は、耳を赤くしうつむいて目を合わせられませんでした。

まぁ、演奏面に移ると、一曲目のドニゼッティのオーボエソナタが始まりました。ピアノの伴奏の後、Cで始まるこの曲。昔(1983年)のテープを掘り出すとさらっと吹いていたのですが、数年前聞いたときから、この始まりの音、フェルマータがあるわけではないのですがながーく伸ばすんですねぇ・・・

聴くたびに長くなっていくように思います。でもこう言うのって大好きです。譜面通り演奏することだけで十分音楽ができると言う説もありますが、可能性と言うか演奏者の介入できる余地があることはいいことだと思います。もともとオペラの作曲家ですから、正確に演奏するだけではしょうがないと思いますし・・・。

で、後で、本人に言われることになる「オーボエ吹きはおたくが多い!」というのの証明になってしまうのかもしれませんが、最前列ですから何を見るって、アマチュアではあるもののオーボエを吹くものとしては、つい見てしまうのが指使いなんですねぇ。

ほんとはリードを見たいと思うのですが、さすがに最前列であってもそこまではわかりません。

まぁ他の人から見ればどうでもいいことですが、ここに音色の秘密があるのでは?とかここは難しいんだけどどうするんだろう?とか妙な探求心が働いてしまうんです。

案の定僕から見れば超絶技巧をやっているんです。ちょっとオーボエの心得がある人であればやっていることかもしれないのですが、あそこまで徹底して音色・音程の矯正用の指使いはなかなかできないものです。

次にまたトークの後、ウェーバーの魔弾の射手の主題による幻想曲!これは、今日のトークでもあったように、普通の人が知っている旋律はほとんど出てこないのが特徴なんです。僕の場合は、オペラは見たことはないものの、たまたま木管八重奏曲というこれまたおたく?な編成でこの曲の編曲ものがあってやったことがあるので、ここは聞いた事があるな?という断片の記憶がちょっとだけはありました。

でも、この譜面は以前買って、「あれ、知らないやぁこの曲!」って思って、ずっと本棚に眠っていたものなんです。不思議なもので、つまんないと思って聴かなかったものも、自分が気に入っている演奏家が演奏すると好きになったりするもんですから不思議です。というわけで、今譜面を眺めたりしちゃっています。

その次は、オーボエ奏者の中では難曲を書く人として有名なパスクッリのラ・ファヴォリエータの主題による協奏曲。

この曲は、初めて聴いたのは、知る人ぞ知るイギリスのマルコム・メシターという人のLPを買った15年近く前です。やはり最初に聞いた演奏がいまだに頭に残っています。

インプリンティング(刷り込み)という、ひな?が最初に見たものを親と思ってついて行くと言うのとは違うかもしれませんが、高校生の頃に聞いたものって結構最初に聞いたものの記憶が鮮明で、それと違う演奏は「何かが違う?」ということで自分の中に自然に入ってこないことがしばしばありました。Wという人のを聞いたときはちょっと物足りなく感じました。でも今日のは丁寧な演奏で良かったです。

この曲はイタリアのガラス職人の技術として有名な循環呼吸を多用したものです。一緒に行った友人たちも聴きながら一緒に呼吸をしているのか、聴いていて息が吸えなくて苦しいと言ってましたが、かなり不完全ながらも循環呼吸をマスターした僕は聞きながら循環呼吸をしていたので全然苦しくなかったです(僕の話はうそです)。

そう、余談ですが正式な循環呼吸法があるのかどうかわかりませんが、私の知っている、私のできる循環呼吸とは、ほっぺたを膨らましてそこに空気をため、ほっぺたのふくらみを小さくしていくことで口の中にある空気を吐き出します。この時、喉はフリーな状態になるのでこの間に息を吸ってしまうというものです。ばかでかい音を出したり、繊細な表現をしないといけない場所では使いづらいですが、そうでないとこでは「ここで息を吸うのもなんだし・・・」というとこでたまにやっちゃったりしますがほとんど趣味の世界です。

------休憩--------- 宮本さんの御両親も聴きに来ていました。

休憩後、カリヴォダのサロンの小品です。

これは、実はバロックオーボエの演奏を最初聞いていたので、普通のオーボエの響きに慣れるまでちょっと時間が掛かりました。宮本文昭のCDが実はモダンオーボエ第1号でした。

でもいい曲ですし、好きです。いかにもオーボエと言う感じの曲でアマチュアの僕でも吹けるところがそれなりにあります(^^ゞ

で、トリのまたしてもパスクッリ。シチリア島の夕べの祈りの主題による協奏曲!!

数年前練馬文化会館で宮本文昭が来た時にも聴きに行ったのですが、この時も似たようなプログラムで、この曲の演奏途中で苦しさをアピールしてくれました。

なんでも、師であるヴィンシャーマンからは「難しいものを難しく人に聴かせてはいけない」と言われたそうですが、難しいということのアピールを実はしてもらいたいという甘えもあります。

「あの、宮本さんでさえ難しそうにやっていたんだから、僕ができないのもわかってもらえるよね?ね?ね」って言いたいだけなんですがなかなかさらっとやられてしまいますねぇ。困ったものです(^^ゞ

でも今日は、曲の途中で、かなりハードな部分を吹き終わったあとに、曲半ばにして「これはいじめですねぇ!」というのを聴きました。こういう気さくさがまたいいですね。

かなり昔FMで、「研究会としてではなく、ビールでも飲みながら聴いて欲しい」と宮本さんは言っていました。たしかにいろいろある管楽器の中でも、オーボエというと、つい耳をすまして聞いてしまいたくなるのですが、BGMとして流れるのもいいものです。

-------アンコール-----------

そうこうしているうちに、定番アンコールの時間です。確か3曲だったと思います・・・。

バッハのシチリアーノ、有名ですね、この曲は。

こんなこと書いちゃっていいのかわかりませんが、(ごめんなさーい、古部さん) 新日フィルのオーボエの古部さんが、以前カザルスのコンサートのアンコールでこの曲をやりました。吹き始めてすぐチェンバロとチェロの人にストップを掛けるんです。
一体何事かと思ったら、楽器の掃除用の羽根を楽器の中に入れたまま吹いていたんです。

聴いててちょっと音色がこもったなぁと思っていたのはどうやらそのせいでした。まぁあのくらい吹ける人だからこそ笑って許されますが、僕がやろうものなら、何が飛んでくるかわかりません。でもこの日はハプニング続きで、オルガンソロで、弾き始めたら音が出なく、慌てて奏者が裏に行って何やらしてやっと音が出たことがありました。
ソロで良かった。曲の途中からだったらお手上げです。

で、話を戻しますが、次にサン=サーンスの白鳥。サン=サーンスのオーボエソナタが好きな友人が、一瞬ぬか喜びをしてました。

いいですねぇ、これ系の音楽を宮本文昭で聞くのは。もちろん他のもいいですが、こう言う曲で一層彼の個性が光り輝くと思います。何かのインタビューで、「一音成仏」と言っていましたが、まさにその言葉がぴったりです。「あぁ、その音をいつまでも吹いててほしい!」と思うことがありますね。

そう、オーボエって、F-dur(へ長調)の和音の音に特徴がありますねぇ。 C,F,Aの音は、独特の音がしますね。奏者によってまたこれが個性が出るんですが。

彼のこの曲の演奏は、1981年東京文化会館小ホールやCDドリーミングストリウムで聞いて以来長い付き合い?ですが、いつ聞いても曲の良さもさることながら名演です。

僕は昔、神戸のポートピアアイランドの大きなホテルでなぜかマタニティコンサートで、この曲を吹いたことがありますが、その迷演を聞いて生まれてきた子供たちはちゃんと育っているか心配です。

そして最後にフォーレの「夢の後に」

もう、これはパチンコ屋の「蛍の光」、小学校の新世界からの2楽章「家路」、とともに広く知れ渡った、お別れの曲です。宮本さんの名演を聞きながらしみじみと感動をかみ締めながら帰りたくなる曲です。

--------終演-----------

楽屋にて:

悪友?どもに乗せられて、つい楽屋に来てしまいました。彼の楽屋に行くなんて初めての事で、「ついて行ってあげてもいいよ」という友人たちはいうのですが、結局自分が行きたかったようで、だしに使われたのかなと思ったりもしましたが、まぁいいです。

そう、楽屋の入り口に立ってファンの方々のお相手をしているんです。別な友人(実はこのホームページを印刷して持って行った張本人(^^ゞ)が、

「今日、このホームページを書いている人が来ています!」と本人に言ったようで、宮本さんがこっちを見て

「あなたですかぁ、いやぁ目つきがオーボエをやっている人だと思ったんですよぉ」とか、
「オーボエ吹きって、暗いんですよねぇ!」とか
「オーボエ吹きっておたくが多いんですよねぇ」とか
「あんなに有名なオーボイストたちを好きじゃないと言うなんてびっくりしましたよぉ・・・」

なんて、舞台でのトークのように冗談交じりで言われたもののいざ、本人を目の当たりにすると、なんと言って良いかわからなくただただ申し訳ないという気持ちで謝りましたが、一言ぐらいと思って「有名税なのでは?」と言ってしまいました。
怒ってないかなぁ・・・。

でも、いつも舞台でのトーク時に、オーボエってマイナーな楽器で・・・とえんえん謙遜(事実か?)した話をするのですが、世に知らしめてくれたのはあなたではないですか!

僕が大学に入った頃、音楽を専攻している友人とこんな会話がありました。
 友人:「何の楽器やってるの?」
 僕:「オーボエって言うんだけど知ってる?」
 友人:「知ってるよぉ、あの茶色くってながーいやつでしょ?」
 僕:「・・・」
その友人は、ビオラがバイオリンよりも小さくいつも旋律が弾けるものと思ってビオラを初めて、かなりたってから間違いに気づいたというやつです。

で、なぜかそこにあったポラロイドカメラで二人で写真を撮ってもらいサインまでしてもらいました。

まだまだファンの人がいたのでその辺でお別れをして帰りました。 楽しい1日でした。

  ご意見、ご感想などは私(本橋)まで

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