菊池明彦のオーボエの話 - 3 -


「即席オーボエ語会話−1(オーボエ奏者と話をする前に)」

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前書き:
OBOEについて
 

 この楽器を語るにはとてもこれだけの紙面では足らないけれどまあ考えてみよう。
この楽器は知る人ぞ知る苦労の絶えない楽器である。以下にその苦労を記すので知り合いにOBOEをやっていると言う人がいたらねぎらいの声をかけてやって欲しい。


1.吹くのがつらい
 見ていてわかるように顔を真っ赤にして、中には青筋をたてて、ちょっとしたパッセージでも他の楽器が涼しそうな顔をしている中、がんばっている人がいたらそれはきっとOBOE奏者である。この楽器をやっている限り、将来髪の毛が減ってもこの楽器を選んだ自分を責めるしかないのである。また誤解のないように言っておくが、決して腰を降り、踊りながら吹くからつらいのではないのである。

 バイオリンのように音符単価が安い(ノルマを払う場合)人たちとはわけが違う。
少ない音符にすべてをかけるのだ。まるで百年に一度しか咲かない花のようだ。
例外も多いが、ドイツ系の一昔前のオーボエ奏者は特にその傾向が強かった。オケとソロを両立できる人はまれであった。彼らは自信を持ってこのように言う。
「私はソロはやらない。ソロをやるには私のリードはきつすぎて最後まで吹けない。オーケストラのわずか一瞬のソロのためだけに最高の音(音色)が出せるこのリードを私は使い、オケ奏者としての人生を全うする」と。
 音色は音楽の一部であり、あまりこだわらない人もいる。どんなに吹くのがつらくても、ただこの音色にこだわり続けられた古きよき時代。私はそんな世界が大好きだ。彼らは音楽家というより職人である。異論があるかもしれないが、そこにあるのは「音色だけ」である。クレメントという奏者はチューニングの音だけで会場の御婦人方を音色の美しさだけで立ち上がらせてしまうほどである。
しかし皆既日食のダイヤモンドリングのような美しさと官能美でわれわれを包んでくれるような往年の名手達の後を継ぐ若手が、どうも最近は違う傾向を望んでいるようであるのは残念に思えてならない。
 ただ、オーボエという楽器は楽をしようと思えば音色を捨てさえすればかなり楽ができる。
世の中で辛そうな顔をして吹いている人の多くはその古きよき時代を忘れられない人達である。(中には単に奏法が間違っているだけの人も中にいるが) 

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2.吹くまでがつらい
 今度は体力の話ではなく準備が大変であるという事。FLUTEなどは楽器ケースを開けて楽器を吹いて楽器をケースにしまって練習が終わる。何て練習効率の良い楽器だろうと思う。ところが人にもよるが、OBOEの場合 「リード」と言う、それはつらく大変で恐ろしくOBOE奏者の人生をいとも簡単に変えてしまうものがある。実態は何の事はないフランス産の「葦」(竹に少しだけ似ている。)を音がするように削っただけのものである。この「リード」にもてあそばれる時間と楽器そのものの練習の時間の比率は、8:2とも言われている。

 じゃあ、リード楽器といわれているものを吹いている人がみな同じかというとそうでもない。私の主観をもとにすれば次のようだ。

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3.吹いた後もつらい
 これは仕方ない事だし、金管とておなじである。ただ、静かな長いソロを吹いた後のつらさはそれ以上の満足感で相殺できるとして、問題はffで、金管のアシのようなことをした後である。フルートやクラリネットのように割り切ってスポーツ感覚で吹ける楽器ではないのである。空しさとやりきれなさが残るだけである。 やはりオーボエは、オーケストラという単なる伴奏楽器とともに演奏するのが楽しい。

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それでは本題に入っていきたいのですが、いくつか例を書いてみました。


第1部:まずリードとは?

リードのことはある程度知っているという人は、第2部よりお読みください。

 リード。この言葉を聞いて何を連想しますか?フルートを除く木管をやっている人であれば、当然「葦」でできたケーンと呼ばれる材料から作る楽器の発音部分がまず最初に思い浮かぶでしょう。オーボエはもちろんのことクラリネット、ファゴット、特殊楽器を入れればオーボエダモーレ、コールアングレ(またの名をイングリッシュホルン)、エスクラリネット、バスクラリネット、コントラファゴットなどをやっている人にとって悩みの種の一つです。

 今、上でフルート以外の木管と一くくりにしましたが、大きく分けて2種類に分かれます。シングルリードとダブルリードです。前者はクラリネット属。後者はそれ以外です。リードは日本語で「舌」ともいわれ、1枚舌、2枚舌などということもあります。ここではダブルリードを中心に書いていくことにします。

2枚のリードが鳴るとはどういうことなのでしょうか?

 草笛というのを吹いたことがあるでしょうか?原理はあれとほぼ同じです。2枚重なった薄いものの間に、空気を通すと、ピャー!と鳴ります。


 もうちょっと進む?とチャルメラになります。新横浜のラーメン博物館にいったことのある人なら見たことがあるかもしれませんが、チャルメラがあって、その横に緑青だらけのセルマー製のオーボエがなぜか並んでいます。雅楽で言えば篳篥(ひちりき)がそうです。
これらの発音体を楽器本体につけて、指使いを変えることにより、管体の長さを変え、音程を変えていきます。


 これで、リードのイメージがつかめたでしょうか?それでは次に、オーボエ奏者がよくやっていることをじっくり観察してみることにしましょう。

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第2部:練習時のオーボエ奏者の演奏までの行動と説明



質問1
 練習にくると楽器を組み立てるのはわかるけれど、何やらカメラのフィルムケースのようなものを取り出し、水を入れてそこにリードを突っ込んでいます。何をしているのですか?

回答1: あれはリードを鳴りやすくするために水分を含ませているのです。口笛を吹くとき、唇をペロペロ舐めてからだと音がきれいに出るのと同じ理由です。なぜフィルムケースかという理由は特にないのですが、ふたをすれば水が漏れないため、水を入れたまま持ち運びができるからというのが私の理由です。


質問2:
 リードケースと言われるケースかに何本もリードが入っていますがどうして何本も必要なのですか?

回答2:
 リードは消耗品です。かつその日の天候・湿度・気温、削られ方により、日々というより極端に言えば分刻みで変化していっています。なんといっても植物ですから。野球で言えば、オーボエ奏者は監督で、投手に相当するのがリードです。その時の調子をみて「これで行こう!」と判断をするわけですが、采配ミスが多い監督は、ファンからなじられます。なお悪いことに、どんなにリードが悪くても、監督への同情がないのが野球との違いかも知れません。(どちらも監督が育てているのに。ピッチングコーチが欲しい)
 また3本くらいしか持ってない人と、何十本も持っている人の違いはいろいろな意味での余裕です。たくさん持つ事で実際に使うのが3本でも精神的な安定もあります。これだけあれば大丈夫だろうという。
まあ旅行に行くのに薬をたくさん持って行く人がいるのと同じです。あと本当に長期間の演奏旅行に出るときはたくさん持って行くようです。



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