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前書き:
OBOEについて
この楽器を語るにはとてもこれだけの紙面では足らないけれどまあ考えてみよう。
この楽器は知る人ぞ知る苦労の絶えない楽器である。以下にその苦労を記すので知り合いにOBOEをやっていると言う人がいたらねぎらいの声をかけてやって欲しい。
バイオリンのように音符単価が安い(ノルマを払う場合)人たちとはわけが違う。
少ない音符にすべてをかけるのだ。まるで百年に一度しか咲かない花のようだ。
例外も多いが、ドイツ系の一昔前のオーボエ奏者は特にその傾向が強かった。オケとソロを両立できる人はまれであった。彼らは自信を持ってこのように言う。
「私はソロはやらない。ソロをやるには私のリードはきつすぎて最後まで吹けない。オーケストラのわずか一瞬のソロのためだけに最高の音(音色)が出せるこのリードを私は使い、オケ奏者としての人生を全うする」と。
音色は音楽の一部であり、あまりこだわらない人もいる。どんなに吹くのがつらくても、ただこの音色にこだわり続けられた古きよき時代。私はそんな世界が大好きだ。彼らは音楽家というより職人である。異論があるかもしれないが、そこにあるのは「音色だけ」である。クレメントという奏者はチューニングの音だけで会場の御婦人方を音色の美しさだけで立ち上がらせてしまうほどである。
しかし皆既日食のダイヤモンドリングのような美しさと官能美でわれわれを包んでくれるような往年の名手達の後を継ぐ若手が、どうも最近は違う傾向を望んでいるようであるのは残念に思えてならない。
ただ、オーボエという楽器は楽をしようと思えば音色を捨てさえすればかなり楽ができる。
世の中で辛そうな顔をして吹いている人の多くはその古きよき時代を忘れられない人達である。(中には単に奏法が間違っているだけの人も中にいるが)
じゃあ、リード楽器といわれているものを吹いている人がみな同じかというとそうでもない。私の主観をもとにすれば次のようだ。
わたしもこの楽器を過去6年ほどやった事がある。確かにリードには悩む。だが今にしてみれば贅沢な悩みだ。リード一箱(10枚入り)を買って、「使えるのは1・2枚だ。」といっているのをよく聞くが、一箱1500〜2000円程度で1枚使えれば上出来だ。
オーボエのリードの完成品(あらかじめ削って鳴るようにしてあるもの)は3000円前後でまたこれが店にあるやつはほとんど使えない。以前50本ほど吹いたが一本もまともなのがなかったので、あきらめて帰った事があったほどだ。昔NHKで宮本文昭が「オーボエ奏者はリード削りに神経をすり減らすけど、クラリネットは(リードの入った)箱を開けるだけだからなあ」と言ってたことがあったのも思い出した。これを読んでわかるとおり、クラリネット奏者のほとんどはリードを削らない。既製品がそのまま使えるのである。彼らは箱を開けることに執念を燃やしているのだ。
リードは大きくなればなるほどアバウトになる。オーボエよりコールアングレの方がかなりアバウトである。アバウトというのは、どんな削り方をしても鳴るし本番でも使えちゃう位楽だという事である。
かつ大きければ一般的に寿命も長い。また、他人のリードでも吹けないという事はあまりない。つまりどういうことか。
結論はただ一つ。店に行って何本か買ってきて何年も使う。ということである。おまけに言えば、人間もアバウトで寿命も長そうだ。およそストレスという言葉とは無縁の人達ではないだろうか?(これが理想の生き方なのだろうが)それでオーボエ奏者がさっき削ったリードが使えるか真剣に悩んでいるのに、ファゴット奏者ときたら横でジョークを飛ばしているのだ。決して緊張をほぐすために無理矢理雰囲気を作ろうとしているのではなく、奏者自身がもともとそんな性格なのだ。
余談になるが、学生時代に木管のトレーナー(ファゴット奏者)が、リード作製講座を合宿でやっていたので行ってみた。びっくりしたのは、材料をボーカル(リードをつける金属の曲った管)につける際、ボーカルへの密着性を高めるためリードの形を丸くするのであるが、その方法がなんとガンガン木槌でたたいて割っていくのである。こんな力仕事の後あんな呑気な音を出されるとダブルリードと言う一括りはいったいなんなんだろうという気もする。
あきれてしまい怒るパワーもなかった。
まるで受験のようだ。わずかの一瞬(受験時)のために何年間も勉強をするのだから。ただ、模擬試験と本番の関係がまったくといってないことが大きな違いだろう。
それでは本題に入っていきたいのですが、いくつか例を書いてみました。
リードのことはある程度知っているという人は、第2部よりお読みください。
リード。この言葉を聞いて何を連想しますか?フルートを除く木管をやっている人であれば、当然「葦」でできたケーンと呼ばれる材料から作る楽器の発音部分がまず最初に思い浮かぶでしょう。オーボエはもちろんのことクラリネット、ファゴット、特殊楽器を入れればオーボエダモーレ、コールアングレ(またの名をイングリッシュホルン)、エスクラリネット、バスクラリネット、コントラファゴットなどをやっている人にとって悩みの種の一つです。
今、上でフルート以外の木管と一くくりにしましたが、大きく分けて2種類に分かれます。シングルリードとダブルリードです。前者はクラリネット属。後者はそれ以外です。リードは日本語で「舌」ともいわれ、1枚舌、2枚舌などということもあります。ここではダブルリードを中心に書いていくことにします。
2枚のリードが鳴るとはどういうことなのでしょうか?
草笛というのを吹いたことがあるでしょうか?原理はあれとほぼ同じです。2枚重なった薄いものの間に、空気を通すと、ピャー!と鳴ります。
もうちょっと進む?とチャルメラになります。新横浜のラーメン博物館にいったことのある人なら見たことがあるかもしれませんが、チャルメラがあって、その横に緑青だらけのセルマー製のオーボエがなぜか並んでいます。雅楽で言えば篳篥(ひちりき)がそうです。
これらの発音体を楽器本体につけて、指使いを変えることにより、管体の長さを変え、音程を変えていきます。
これで、リードのイメージがつかめたでしょうか?それでは次に、オーボエ奏者がよくやっていることをじっくり観察してみることにしましょう。
質問1:
練習にくると楽器を組み立てるのはわかるけれど、何やらカメラのフィルムケースのようなものを取り出し、水を入れてそこにリードを突っ込んでいます。何をしているのですか?
回答1: あれはリードを鳴りやすくするために水分を含ませているのです。口笛を吹くとき、唇をペロペロ舐めてからだと音がきれいに出るのと同じ理由です。なぜフィルムケースかという理由は特にないのですが、ふたをすれば水が漏れないため、水を入れたまま持ち運びができるからというのが私の理由です。
質問2:
リードケースと言われるケースかに何本もリードが入っていますがどうして何本も必要なのですか?
回答2:
リードは消耗品です。かつその日の天候・湿度・気温、削られ方により、日々というより極端に言えば分刻みで変化していっています。なんといっても植物ですから。野球で言えば、オーボエ奏者は監督で、投手に相当するのがリードです。その時の調子をみて「これで行こう!」と判断をするわけですが、采配ミスが多い監督は、ファンからなじられます。なお悪いことに、どんなにリードが悪くても、監督への同情がないのが野球との違いかも知れません。(どちらも監督が育てているのに。ピッチングコーチが欲しい)
また3本くらいしか持ってない人と、何十本も持っている人の違いはいろいろな意味での余裕です。たくさん持つ事で実際に使うのが3本でも精神的な安定もあります。これだけあれば大丈夫だろうという。
まあ旅行に行くのに薬をたくさん持って行く人がいるのと同じです。あと本当に長期間の演奏旅行に出るときはたくさん持って行くようです。
ご意見、ご感想などは私(本橋)まで。
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