バックナンバー:26 2002/12/01


皆さん、こんにちは。

 

ドイツは今日からクリスマスシーズンに入ります。クリスマスの前の4回の

日曜日をアドベントと呼んでおります。そして本日が第1アドベントです。

この日に何が始まるかと申しますと、信者でない私には詳しいことは分かり

ませんが、クリスマスへ向けて教会関係は行事の連続です。その行事の1つ

にクリスマス・オラトリオがあります。日本で私はこの曲を1回も演奏した

ことがありませんでしたが、ドイツではアドベントには、どこかの町で絶対

にこの曲の演奏があります。去年もこの時期に書きましたが、デトモルトの

音楽大学では、オーボエ科の学生が4〜5チームくらいチームを組んで、毎

日曜日に演奏しまくっていました。この時は専攻の学生だけではなく副科の

学生たちも駆り出されておりました。この曲は兎に角オーボエ4本という、

大変めずらいい編成で、この時期に公演が集中するので皆、引っ張りだこで

す。

 

さて、昨日は土曜日でした。ドイツは宗教の関係で休日はお休みです。つま

り、お店が開かない。そして、土曜日は本来は半日。しかし、世界的な風潮

なのか、それを法律で規制するのはおかしい。お店を開けたい人は開ければ

よいではないか、というので、ここ10年くらいで労働に関する時間制限が

緩やかになりました。土曜日のお話です。アドベント時期の土曜日は18時

までお店を開けても良いのです。という訳で昨日は普通無い、18時のラッ

シュが起こっておりました。それから、町は急にクリスマスの照明で明るく

なり、人々もうきうきしている様に見えました。

 

12月1日から、アドベントカレンダーというものがドイツにはあります。

きっと他のヨーロッパ、キリスト経の国々にはあるのかもしれませんが、毎

日一つの窓があり、24回開き終わるとクリスマス。というシステムです。

 

主に子供のためで、手作りの物から、市販の物まで、中身は色々です。市販

のものはチョコレートが入っているカレンダーがほとんどですが、大人用の

ビール入りのカレンダーを見かけたこともあります。我が家が愛用していた

カレンダーはレゴ社の物で、小さなレゴのおもちゃが毎日1つもらえます。

手作りカレンダーは毎日親が何か袋に入れてあげるのですが、お菓子だった

り。小銭だったり、文房具だったりします。

 

十八になる娘が、今になって「小さい子供に毎日窓を一つづつ開けろ!とい

うのは無理な話よね〜。私なんか皆開けて、何がもらえるのか先に見ちゃっ

たわ。でも見てから後悔するんだけど!」と言っております。

 

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  フィガロを書いた人はどんな人?

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その娘の学校の音楽の授業でモーツアルトのオペラ「フィガロの結婚」のフィ

ガロのキャラクターを述べよ、という課題が出て何を書けば良いのか、困って

いる。というのです。一応オペラハウスで仕事をしている私ではありますが、

舞台上での事は非常に疎いのです。知らぬ存ぜぬでは、やはりプロの音楽家と

して、親として情けないので、フィガロを調べる直すことになりました。そこ

で私が、今回勉強した一部をここにご紹介いたします。そんな事とっくに知っ

ておられる、という方は今回はどうぞ読み飛ばしてください。

 

このオペラを調べるには当然モーツアルトが用いた戯曲を調べることになりま

す。この作品がパリで上演された2年後に、天才作曲家モーツアルトはこの戯

曲をオペラとして発表しました。

 

まず、時代的な背景からご説明申し上げます。この戯曲は1784年に初演さ

れております。この時代はフランス王朝時代の最末期と言える頃です。そして、

この戯曲の内容は、と申しますと、伯爵のスザンナへの横恋慕をフィガロが撃

退し、スザンナと結婚するという物語です。当然王朝側がこの手の作品の上演

をあっさり許可するはずがありません。現代にこの手の作品を発表しても何の

問題も無いものが、その当時であるがゆえに作品発表前から大きな物議をかも

していたわけです。そしていざ、初演となると当時はテレビも映画も無い時代

です。王朝末期時代の平民が、伯爵をまんまと出し抜いてのハッピーエンドの

「フィガロの結婚」に聴衆が大喝采を送ったことは明らかです。その2年後に

モーツアルトがオペラ化しウィーンで初演する時には既に成功の地盤は確立し

ていた、と言っても過言では無いと思います。

 

さて、作家についてです。私は正直申しまして、モーツアルトのオペラ「フィ

ガロの結婚」は何回もステージを見ておりますし、またオーボエパートも演奏

しております。しかしながら、この作品の台本は?と聞かれるとはたと首をか

しげてしまいます。ロレンツォ・ダ・ポンテと言う人がボオマルシェという人

が書いた戯曲をオペラ用の台本に書き換えた、問い事です。さて、問題の戯曲

の原作者ボオマルシェという人ですが、この人は大変な人であった様です。フ

ランス文学を勉強なされた方は当然ご存知の名前なのでしょうが・・・。

 

彼は1732年、時計屋の息子として生まれ、名前をピエール・カドンと言っ

た。野心の高い彼は、指輪にはめ込むほど小さな時計を作り、パリ王室の姫た

ちに献上し、またハープの先生として王室の娘たちを弟子に持ち、宮廷に自由

に出入りするようになる。知り合いの資産家と組んで財産を作り上げると貴族

の称号を買い取り、妻の出身地のボオマルシェを取り、カロン・ド・ボオマル

シェと名乗った。いうなれば尾張のだれだれ、と言った感じである。

 

彼の名は年とともに国外にもとどろく事になる。1764年、彼の妹の許婚で

あるスペイン人の作家クラヴォホが理由無しに婚約を破棄してきたのを怒り、

一人マドリッドに踊りこみ、スペイン王宮に働きかけ、クラヴォホを失脚させ

てしまう。1770年、パリである貴族と大訴訟が敗訴され大きな経済的打撃

を受けるが、そのいきさつをつづり、当時の内閣不信任案の機運を作り、名誉

挽回する。

 

1775年、戯曲「セビリアの理髪師」を発表。「え〜」というか「あっと驚

く為五郎」と言うか、かの有名なロッシーニがオペラ化した台本がこの人の作

品だった訳です。

 

ルイ16世やマリー・アントワネットの私設外交官として動き回っている最中

にアメリカの独立戦争が勃発。そこで、宮廷のお墨付きをもらい武器を船に積

み込み独立軍に売りにアメリカまで行く。名誉は得たものの、軍がお金を支払

ってくれなかった為にまた、経済的ダメージをこうむる。

 

蒸気ポンプを利用してセーヌ川の水をパリ市内に供給する事業にかかわる。

 

1784年「フィガロの結婚」を発表。

 

フランス革命。バスティーユ牢獄の向かいにあった彼の豪邸を革命政府に没収

される。その後亡命。革命後ようやくパリに戻る。1799年没。

 

ざっとこんなところである。平民であった彼が金で貴族になり、貴族を滑稽に

扱った作品がフランス革命風潮をあおり、それが自滅へ導く波乱の人生。そん

な風雲児が書いた作品が「フィガロの結婚」だったのです。

 

次にフィガロを聞く時には違った聞き方ができるかもしれません。

 

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