バックナンバー:22 2002/10/05


皆さん、こんにちは。

 

ツィギーというモデルをご存知の方は私と同じ中年層に属する方でしょう

が、そのツィギーがモデルとしてカムバックしました。あの当時から比べ

ると少し女性の体系になっているようです。もちろんティーンではありま

せんが・・・。

 

スイスの主要トンネルのGotthardでまたバスと乗用車が正面衝突。(9月

29日)

 

10月5日は映画、007・ジェームス・ボンドの誕生日だそうです。ドイ

ツのARDではその日に3本テレビ放送が組まれています。

 

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  初めてのドイツ旅行

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普段遠出をするときは車が多いのですが、電車での旅行も結構楽しいもので

す。のんびり車窓を眺めるも良し、ドイツ人たちとおしゃべりするのも良し、

うたた寝するのも良し、の良いこと尽くめですが・・・。乗っている間は良

いのですが、当地に着いてから目的地が足の便が悪い所だと困りますね。

 

本日は私のドイツで初めての電車旅行の思い出を書きたいと思います。

 

私が最初にドイツを訪れたのは京都芸術大学在学3年の時でした。1974

年のことです。団体の旅行から離れ、1人ハイデルベルクからナウハイムと

いう田舎を訪れました。ナウハイムはご存知の方もいらっしゃるかもしれま

せんがヨーゼフ・ピュヒナーの工場があります。確か73年だったと思いま

すがベルリン放送交響楽団が初来日した時です。主席オーボエ奏者の2人、

パッシン氏とツォルン氏の音色をたっぷりと大阪フェスティバルホールで聞

かして頂きました。その時、ツォルン氏がベートーベンの7番を演奏したの

が今でも記憶に残っております。その両氏とデトモルトでご一緒に勉強され

た我が師匠岩崎先生に連れられて隣接のホテルにお邪魔しました。当時まだ

ドイツ語を話せなかった私は先生と、同じ楽団の日本人コントラバス奏者の

赤星さんの通訳で、お話を伺うことができました。今思えばこの時に私のド

イツ思考は決定したのだと思います。その時期からドイツ語の勉強も始めま

した。

 

その時、ツォルン氏が使用していた楽器が新しいピュヒナーだったのです。

岩崎先生はその夏早速ドイツでピュヒナーを2本買っていらっしゃいました。

1本はご自分用。もう1本は私の1年下の学年の女性の学生が購入しました。

この楽器が素晴らしかったことと、ツォルン氏の名演が忘れられず、私もこ

の楽器を購入することにしました。岩崎先生もすぐに楽器を注文されたくら

いですから、その時のツォルン氏の演奏が如何に印象的であったかはご想像

いただけると思います。

 

さて、ハイデルベルクの駅で切符を買い、駅長さんに乗る列車を教えて頂き、

無事ナウハイムの駅に着き、迎えにいらしてくれたピュヒナー婦人のメルセ

デスで工場に向かいました。一部ドイツのアウトバーンを走ったのですが、

高速道路に入るなり凄い加速でびっくりしたのを覚えています。今では私自

身もそういう運転が当たり前なのですが、当時の日本の車の運転の感覚から

すると、とんでもない加速です。まるでジェットコースターに乗ったような

気がしました。

 

無事楽器を購入し、フランクフルトの楽譜屋に行くことにし、行き方をピュ

ヒナー氏に教えていただきナウハイムの駅から電車に乗りました。その時に

同じコンパートメントに乗り合わせたおばあさんが私のことを興味深く思っ

たのか、「どこから来たの?」「これからどこへ行くの」とか私でも理解で

きる程度のドイツ語で話しかけてきました。コンパートメントというのは3

人掛けの椅子が向かい合わせになっている6人部屋のことです。1台の車両

にこういう部屋がたくさんあるのが当時の長距離電車では普通でした。現在

は日本の新幹線のような1台の車両の中にずらーっと椅子が並んでいるタイ

プの列車もあります。

 

おばあさんに「私は音楽の学生で、これから楽譜を見にフランクフルトに行

くのだ」という事を何とか告げたところ、おばあさんはその楽譜屋への市電

での行き方を丁寧に教えてくれました。駅の前に並んでいる何番の市電に乗

ってどこどこの駅で降りなさい、と言ってくれフランクフルト中央駅で別れ

ました。駅に到着しておばあさんに言われたように市電乗り場を探し当てま

した。私が乗る市電への乗り場は今立っている反対側ですので線路を横断し

なければいけません。電車が来ないことを確認してから線路を渡ろうとした

ところを誰かに腕をぐっとつかまれたのです。その瞬間に市電が私の前を左

から右へ通り過ぎました。

 

私はその時に日本式に右を見て左を見たのです。確かに左側には電車がいた

のです。この電車はしかし私のいるところから期待したように遠ざかって行

かずに私に向かって突進してきていたわけです。ドイツでは車と電車は右側

通行ですからこれは当たり前ですが、初めてのヨーロッパ旅行の私には、頭

でそのことを知っていても実際には習慣に従い道路(線路)を渡っていたの

でした。

 

私を捕まえてくれた人を見ると、なんとさっきの電車のおばあさんだったの

です。その時にはお名前と住所を聞くことができなかったのですが、この方

がいなかったらその時に楽譜屋にたどり着けなかったどころか病院行きだっ

たはずです。買ったばかりの腕に抱えたピュヒナーもぶっ壊れていたことで

しょう。

 

その後は無事に楽譜屋(Noten Fuchs)にたどり着き珍しい楽譜を買い込み、

今度はそこでレコード屋を聞き、当時ミュンヘンコンクールで入賞したシェ

レンベルガーのレコードを買いハイデルベルクに戻ったのでした。

 


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